伝統芸術、家紋を守りひたすら六十年
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紋章山形流宗家 紋章上絵師
二代目 山形 一豊
今、思うと 「 お父さん 」 と呼んだ事のない人生でした。
親方(父)は、とても腕の良い小田原仕込みの職人です。朝起きると親方の机とその周りを清掃して朝食になります。
ようやく一人前になり私の下にお弟子さんが入った頃、研究熱心な親方は紋付の原型に使う渋紙をフィルムに変えて型の中に細い線模様を彫る手技に成功しました。
画期的な手技の指導を受けたいと家紋業界では注目されました。
私も、いつか衝撃を受けた精密な父の技に融合する技術を考えるようになり仕事が終わると一日睡眠時間を三時間に決め、摩擦に強い家紋を布地に描くべく研究に入りました。
五年経った頃、やっと世間に出しても良いと思われる程の技術が確立しました。
全国紋章連合組合の大会で研究発表をしたところ壮年部の大反対の中、青年部からは拍手喝采で、その日より全国から見学に来る人が多くなりました。
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妻 美恵
あれから時代は過ぎましたが、 今でもその手技を続けて日々精進しております。
平安の時代より、家の印として公家達が使い始め鎌倉幕府ができると、 武士団の旗印となり、家紋は社会的に活躍の場を広め無くてはならない家の印となりました。
その後、明治政府は太政官布告書により明治十年九月十八日、 男性の正装を 「 黒紋付き、 羽織、 袴 」 と規定しました。
この時、 女性の正装には特に規定せず、 男性の正装に準ずるとのことで女性達の中から現代の黒紋付き姿が誕生したようです。
既婚女性が「 黒紋付き 裾模様 」、 未婚女性は「 黒紋付き 振袖 」 と日本の正装、 礼装として使われてきました。
現在、男性の正装姿は少なくなり女性が公式の場で紋付の着物を着用して家紋と共に家の歴史を守り続けています。
男性も公式の場で家系の家筋を積極的に表面に出し自分自身を高揚して務めたい。
そんな思いで 今、芸能界・講談・歌舞伎・舞踊家・各きもの着付け教室の仕事をしながら、広大な富士山を背に裾野より、全国に伝統の心を発信していくべく、一つ一つの家紋に心を込め製作をしています 。