家紋の由来

 

家紋

その昔、平安の公家達は院内政務に牛車に乗って参内致しました。 そのため、宮廷内の車止めには同じような牛車が立ち並び、自分の牛車を見つけることは容易なことではありませんでした。
そこで公家達は立ち並ぶ牛車のなかから自分の牛車を見つけ易くするために車の目印をつけるようになりました。
 やがて、その模様は公家達の間で競って描かれるようになり、いつしかそれぞれの模様がその家を表わす印となってまいりました。
 
 徳川時代になりますと参勤交代の道中での藩の印として、社交上での印として、その印は武士団の起こりと共に合戦における旗指物、陣幕となり、その活躍の場を広め更に家との結びつきを強めて行きました。
 この時代になると、単に自分の家の目印にすぎなかったものが逆にその目印こそが、その家を表わすようになり、衣類、家具、調度品などにも描かれ普段の生活の場においても家紋が重要な役割を果たすようになりました。
 
 現在におかれましても、その家の流れを表わすものとして引き継がれております。